プロローグ

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2013.01.01 Tuesday 00:00

フィヤーバードが作られる過程の話が http://sound.jp/firebird/history.htm のサイトにひじょうにユニークかつわかりやすく書かれているので引用させて頂きます。問題等あればご連絡下さい。以下引用です。


1960年代のアメリカ合衆国。50年代後半から60年代前半にかけて華やかな音楽産業の一端を支え始めたエレクトリックギター市場において、ギブソンは苦境に立たされていた。

革新的なイメージを持つフェンダーギターに比べて、伝統的なフォルムを持つギブソンギターはもはや過去の産物と見なされていたのだ。テレキャスター、ストラトキャスターと立て続けにヒット作を送り出したフェンダーは、アメリカの伝統音楽であるカントリー系のプレイヤーからの確実な支持を受けていた。

ブロンドのテレキャスターからサンバーストのストラトキャスターへの変遷に影響を受け、ギブソンは52年に発売したレスポールに次のような変更を加えた。

 ・より軽量、安価なジュニアモデル、豪華なカスタムモデルの発売
 ・TVカラーの採用
 ・ゴールドトップへのチューンOマチックブリッジ(ABR-1)の採用
 ・ハムバッキングPU(PAF)の採用
 ・ジュニアのWカッタウェイ化、ゴールドトップからサンバーストカラーへの変更

しかしABR-1やPAFといった画期的な新技術を採用したにもかかわらず、結果は思わしくなかった。中でも革新性を旗印に58年に発表したフライングV、エキスプローラなどのいわゆるモダニスティックギターも市場からの反応は鈍く、実際の製造はわずか240本にとどまった。

一方、フェンダーが同じ58年発売したジャズマスターはギブソンの主な顧客であるジャズプレイヤーからは支持されなったものの、当時流行していた西海岸のサーフミュージックのミュージシャンを中心にスマッシュヒットとなったのである。

絶対数の多いポピュラーミュージックプレイヤーへの普及により、市場の中でのフェンダーの優位性はますます高まるばかり。

さらに59年のローズ指板への全面切り替えでよりギブソンに近いプレイヤビリティを手に入れたフェンダーは、60年のカスタムフィニッシュの導入でさらに顧客のニーズに近づき、61年にジャガーを投入。ラインナップも徐々に充実していった。

61年、ついにギブソンはレスポールのフルモデルチェンジに踏み切る。

9年続いた伝統的なシングルカッタウェイ、アーチドトップボディに別れを告げ、22フレットフルスケールネック、スキャロップドボディの軽量ギター、通称レスポールSGを発売したのだ。

61年、SGスタンダードは1662本のセールスを記録し、60年のレスポールスタンダードの635本に比べ2.5倍の伸長となったが、翌62年には1449本と15%も落ち込み、決して先行きは明るいものではなかった。
当時のギブソンの社長、テッド・マッカーティも相当頭を悩ましていたに違いない。


引用ここまで。

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Chicago in 1962

2013.01.02 Wednesday 00:00

この記事はhttp://sound.jp/firebird/history.htmからの引用と多少の補足をこちらで入れています。当時の状況を面白く伝えてます。


テッド⇒テッド・マッカーティ当時ギブソン社長

部下「社長、ここはわが社も生産工程を見直し、デタッチャブルネックのギターを・・・」

テッド「バカもん!わが社は伝統ある楽器製造業だぞ。ラジオ屋のネジ止めギターの真似などまかりならん。わが社の顧客はあんなものは欲しがらん。70年の伝統を汚す気か!」

部下「しかしVもかなり気合を入れたんですが、あの通りでしたし…。なんでもセールス部門からの報告では、ラジオ屋のジャズマスターのカスタムフィニッシュが西海岸の若者に人気だとか」

テッド「色なんてものはすぐにでも採用できる。それに我々の顧客であるジャズプレイヤーもあの音色では満足しまい。だが若者の指示を受けることも大切だ。どうしても色ものが必要ならSGに採用するのは構わないだろう。しかし我々の膝元である自動車産業からヒントを得るとはな。敵ながら大したアイデアだ」

部下「はい、早速デュポンの担当者を呼んで検討します」
※デュポン-アメリカ合衆国の化学会社。自動車の塗料等を製造している wikipedia

テッド「うむ、問題は本質的なニューモデルだ。モダニスティックの売りものは材とデザインだけだったし、SGもハードウェアには大きな進化がない。我々は職人の集まりだ。いかにカラーリングをしようとも仕上げはラッカーにこだわろう。」

テッド「顧客がラジオ屋のPUのようにブライトな音を望むなら、その音をノイズのないハムバッキング構造で提供するべきだ。もっと重要なことはネジ止めには出せない楽器本来の音色が欲しいところだ…そうだ、逆に前から暖めていたネックスルーボディを世に送り出してみたらどうだろうか」

部下「売れてるラジオ屋のギターとは全く逆じゃないですか。そんなものが…」

テッド「こんなときこそ発想の転換が必要だ。当社の持つ伝統的な技術に裏打ちされたものが」

部下「社長、でも先日もそう言ってリンバウッドを結構仕入れたじゃないですか」

テッド「うるさい!『朝令暮改は君子のたしなみ』この変わり身の早さが経営者には大切なんだ。しかしカスタムカラーを採用すると画期的なネックスルーボディ構造がわかりにくくなるなあ」

部下「折角のメイプルトップをゴールドに塗ってしまったレスポールでの苦い経験もありますしね。」

テッド「それも禁句だ!ところで今どきの若者の興味の対象はいったい何かね」

部下「そうですねえ、音楽の他にはファッションとかクルマとか…」

テッド「そうか!ではいっそのことデザインもクルマ屋に任せてみたらどうだろう。せっかく塗料の件を検討するなら、デトロイトに行ってデュポンの担当者から腕利きのデザイナーを紹介してもらってくれ。」

テッド「ニューモデルには若者の心をとらえるデザインが必要だ。クルマも最近は夢のない小型車にシフトしてきている。きっと新たな分野で腕を奮いたいと思っているデザイナーはいるはずだ。伝統に裏付けられた革新的な技術とデザイン、それにわが社の将来をかけようじゃないか」

<以上は話の流れをわかりやすくするためのフィクションです>


引用はここまでです。

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レイモンド・デートリッヒについて

2013.01.03 Thursday 00:00

レイモンド・デートリッヒ

(こちらの記事はからhttp://sound.jp/firebird/history.htmから一部引用しています)
ギブソンはソリッドボディギター市場でフェンダーに打ち勝つべくレイモンド・デートリッヒというデザイナーに新しいギターのデザインを依頼しました。レイは32年から38年までクライスラーに在籍していたコーチビルダー(個人で自動車を作る人)で、その以前にはデューセンバーグというクルマのデザインを手がけたとテッド・マッカーティは語ってます。



デートリッヒが手がけたデザイン

画像は1923年にレイモンド・デートリッヒがデザインしたPackard Sport Phaeton Conceptのデザイン画


1935年のクライスラーの広告。黒い車がレイがデザインしたエアストリーム・クライスラー。


レイモンド・デートリッヒの車について

クライスラーを辞めたあとコンサルタントとして独立し、戦後はミシガン州のグランドラピッドでRay Dietrich Inc.を設立。60年にリタイアするまでタッカーやパッカード、フォードなど多くのモデルの開発にたずさわっていたアメリカの自動車史を語る上では極めて重要な人物です。彼のデザインしたデューセンバーグは1929年から1937年までの間に、僅か380台しか生産されなかったハンドメイドの超高級車で禁酒法の時代、マフィアのゴッドファーザーたちの愛用車として知られ映画などでも多く目にします。

イモンド・デートリッヒの車は現在でも超高額で取引されており、レプリカまで製造されています。( http://www.duesenbergmotors.com/ )。彼のデザインしたものが欲しい、けど彼の車は高額過ぎて買う予算が無い。でも彼が手がけたものが欲しいという人にファイヤーバードの購入を勧められる事もあるそうです。

また彼の車は無意味なくらいデカく重く派手な装飾部品が満載されいたそうで走りを楽しむことは適さなかったようです。同じデザイナーにより生まれてきたFirebird(特に広)にどこかしら共通するポイントがあると感じます。

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デザインについて

2013.01.04 Friday 00:00

この記事はhttp://sound.jp/firebird/history.htmからの引用です。


50年代のドリームカーを生み出してきたレイがデザインしたニューモデルは画期的なものだった。

テッド・マッカーティの言葉によると、

「レイは渦巻やらなにやら派手な決してやろうとしなかった。彼のスケッチはシンプルで古典的な美しさを持っていた」

と言うことだが、トレブルカッタウェイと右手のひじが当たる部分が大きく張り出した非対称のボディは優雅で滑らかな曲線でおおわれ、それに伴いヘッドストックも非対称。4インチ幅のネックスルーボディの部分も両サイドの部分より一段持ち上げられ、その特徴をより強調していた。

これならカスタムカラーを採用してもその構造がひと目でわかる。さらにヘッドからボディエンドまで同一の材で構成されるこの工法は、通常のネックジョイント部における複雑な加工や接着不良といったトラブルを回避する事ができ、ヒール部が小さくなる事でハイ・ポジションが弾きやすいというメリットをもたらした。

同様にヘッドストックも中央部が高くなるように削り込まれ、アジャスト・カバーまでが統一のデザイン。ブリッジからペグポストまで弦がストレートに張られるデザインながら、ペグもヘッド裏にノブがあるバンジョー・スタイルのものを採用したことで、正面からノブが見えず、独特のヘッド形状も十分に生かされ、全体として非対称ながら微妙なバランスを演出していた。

接着強度を増すためV字型の接着面でジョイントされたオールマホガニー製のボディ(もちろん単板)はウイングと呼ばれ、外側にいくに従ってテーパーがつき、さらにボディの裏側の体にフィットする部分が浅く削られているなど弾きやすさの面での工夫も随所に見られた。

ギブソンの木工技術をフルに導入したニューモデル。デザイナーと職人との火花を散らすようなやり取りが目に浮かぶようだ。


引用ここまで。この記事の元ソースは見つかりませんがリアリティのある話です。

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ハードウェア

2013.01.05 Saturday 00:00

この記事はhttp://sound.jp/firebird/history.htmからの引用です。


音質や演奏性を支えるハードウェアもまた力の入ったものだった。

ピックアップには新開発のPU-720(ニッケル)とPU-740(ゴールド)が搭載された。これらはポールピースの変わりにアルニコ製バーマグネットを配置した樹脂製のボビンを横に二つ並べたWコイルのハムバッキング構造となっていた。

外見的に似ているエピフォンのPUやスタンダードサイズのいわゆるラージハムバッカーとも異なる独自のデザインで、コスト的にもPUの中でも一番原価構成比の高いマグネットを二つ使用している高価なものであった。

音の魔術師ウォルターフラーの手による新たなPUはミニハムバッカーと名付けられ、高域特性に優れたブライトなサウンドは他のギブソン製PUとは明らかに異なった独自のキャラクターを持っていた。そしてSGにも採用されたバイブローラ(ショート、ロング)の採用。この辺はフェンダーの特性を十分に分析した上で、市場でのシェアを獲得しようとするギブソンのねらいが反映されている。

また前述のバンジョー・スタイルのペグも形状がバンジョーのものに近いだけで、実はギヤ比を含めてFirebird専用に新たに型起こししたもの。ヘッドからエンドピンまでの長いマホガニー材、新開発PU、バイブローラ、新デザインのペグ、レイに支払われるそれなりのデザイン料など、コストを度外視したかのようなニューモデルのプロトタイプが完成したのは62年の暮れから63年初頭にかけてのことだった。


Firebird Blog
管理人@FireBird_bot(twitter)

ギターのファイヤーバード(Firebird、Gibson,epiphone,その他コピーモデル)についての歴史やスペック等を調べ、まとめています。

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